悲惨な時代のドキュメンタリー番組を見ていたとき、突然心が「蒼弥、好きだよ…。」と呟いた。
自分でも驚いて、この不思議な事象について深く考えだした。。。
こんな悲惨なものを見て、心が痛んだ状況でどうして蒼やんが浮かんだんだろう。。。
普段、蒼やんが頭に浮かぶのは、こんな時。
蒼い空を見上げて。
ベールのように薄く流れる雲を見て。
新緑で鮮やかになってきた山々を見て。
ディズニー映画を見て。
ジャズを聞いて。etc…
幸せな気分で何かしら蒼やんを連想したときに“蒼弥♡”となる。
悲しい気分でも、心は蒼やんを求めた。
テレビに映る時代の辛い感情とは反対の、蒼やんに恋している幸せな今を自覚したかったのか、単純に悲しい気分を穏やかで優しい蒼やんに癒してもらいたかったのか。
そして思考はさらに深くなる・・・・・
テレビに映るその映像は、事実ではあろうが自分の産まれる前の出来事。本当のことは知らない。 これが全てフェイクだったら、どうだろう・・・。
そういえば、まだ画面越しでしか見たことのないガリーの存在、それ自体もフェイクかもしれないかもしれないかもしれない・・・。
事実か分からない映像を見て感情を揺さぶられ、実在するか分からない人物にすがる。だとしたら、だいぶ滑稽で。。。。。
夜はどこまでも深くする・・・
もしも“猪狩蒼弥”がフェイクであっても、この恋心は紛れもないリアル。
何を見ても、何を感じても、“蒼やん”につながるリアル。
・・・いよいよ眠くなってきたリアル…。